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境内案内

国指定重要文化財九棟案内

平成二十九年(二〇一七)には江戸時代に建立された主要伽藍である九棟の建物が国指定重要文化財となりました。

御影堂(宝暦六年 一七五六)

第三十九世光譽萬霊上人が(寛文二年 一六六二)に建立するも、九十四年後の第四十八世震譽知巖上人によって(宝暦六年 一七五六)現在の御影堂である(間口15間、奥行13間)総欅造りの大きなものに改められました。
内陣と外陣の間に蔀戸がついていましたが、現在は取り外されています。
大殿中心の宮殿を置く須弥壇は寛文年間の御影堂のものを転用していると思われます。また、総本山知恩院の御影堂は現在の百萬遍知恩寺御影堂設計図を拡大して建立したとされ、造りが非常に酷似しています。 

釈迦堂(寛文四年 一六六四)

平安時代より賀茂の釈迦堂として知られたお堂で、百萬遍知恩寺の本堂。
中世浄土宗寺院は禅宗寺院建築の影響を受けていましたが、それを踏襲した様式の造りとなっています。
堂内には天台座主の慈覚大師円仁作と伝わる丈六の釈迦如来坐像が鎮座しています。

阿弥陀堂(天保三年 一八三二) 

釈迦堂と同じ禅宗様を基本としつつも江戸末期の流行を取り入れた御堂。
阿弥陀如来は西方浄土に住むということから、西を背にして建てられています。
堂内、来迎壁裏には宮中御用絵師土佐光孚による騎獅の文殊菩薩が描かれています。

勢至堂(寛文十四年 一七三一)

法然上人は生前に「知恵第一の法然房」といわれた所以から勢至菩薩の化身だという信仰に発展し、浄土宗では勢至菩薩を本地仏として祀ることがあります。

加茂明神鎮守堂(寛文二年 一六六二)

明治の神仏分離以前は賀茂両社の神宮寺であったという名残で、今でも本地仏である、虚空蔵菩薩、如意輪観音、荼枳尼天を祀っています。

鐘楼堂(元禄十六年 一七〇三)

吊られている梵鐘は珍しい朝鮮様式のものです。その特徴として鐘の吊るす部分である竜頭の横に筒状の音が抜ける為の旗指があり、模様も瑞雲や仏を描き日本の和鐘と違った趣となっています。

総門(寛文二年 一六六二) 

広小路に百萬遍知恩寺が所在した時に総門であったものが類焼を免れたため、移築されて現在も総門として使用されています。

西門(正徳元年 一七一一)

いわゆる高麗門と称する形式の門で元来は南向きに建ってました。

御廟(享保十六年 一七三一) 

法然上人と第二世源智上人の墓石を覆う形の廟堂として建てられています。
内部の床は磚敷きで、天井は格式の高い格天井です。
また、御廟を中心とした歴代墓地の入口には念仏、五念門等に通じる「念」の字を模った珍しい念字門がありますが、それは鳥居のような結界の意味があると理解できます。